辛くてさー嫌なことがたくさんあるよ。
またでがんすか。
不安と恐怖、後悔や自己嫌悪に陥っているのですね。
では、この諺を授けましょう。
「人間万事塞翁が馬」(イラスト解説)
(不幸)
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(幸)
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(不幸)
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↓
(幸)
「人間万事塞翁が馬」(ジンカンバンジサイオウガウマ)
悪い出来事は実は良い出来事の前触れであったり
逆に良い出来事が災いに転じたり、
人生に起こる出来事の幸不幸は予測しがたい。
だから安易に喜んだり悲しんだりするべきではない
という中国のことわざです。
辛い出来事は、良い出来事の前触れ
今、あなたを苦しめている原因、辛く悲しい悪夢のような出来事も、良い出来事の前触れであるということですよ。
災い転じて福となるかどうかは、心持ち次第じゃぞ。
ずっと嫌な気持ちのままで過ごしていたら、やってくる福もやってきません。
嫌な人も出来事も、面倒くさいことは、ほっぽりだすにこしたことはないのですよ。
早々に、もやもやした負の感情を手放すのじゃ。
モヤモヤを捨て去るにはどうすればいいのかなぁ。
もやもやした感情を生み出す頭の中の悪い想像を、良い想像に置き換えてください。
受け入れる
辛い出来事や嫌な出来事というのは、受けいれてこそ、解決するようになっておる。
「まぁ、まだましなほうだな」とか「どうにでもるな」とか、大らかに考えましょう。
また、他に楽しみなことを目標にたてるのもいいです。
とりあえず、気分を変えてしまいましょう。
現実に起こる出来事は、かつて抱いた思考が引き寄せたもの
こんな嫌なこと望んでないよ!
物事には必ず「原因」があり、そこに「縁」が結ばれて結果が生まれるのじゃ。
これが原則なのです。
嫌な出来事の原因は、かつての自分の思考です。
自分の頭の中に、または心の奥底にあったものなのですよ。
因果応報は自分の心が生み出す
因果応報って?
良いことも悪いことも自分がやったことの報いを受けるという、天の祝福や罰のようなものです。
罰・・・。
何も悪い事してないのに・・・。
原則からいけば、因果応報は、天罰などではありません。
人は聖人君子でも菩薩でもありませんし、汚い部分、いやらしい部分、自己防衛のための嘘や裏切り、あって当然です。
しかし、心の奥にはどんな人も、高潔な神の心をもっているんですよ。
その神の心が、過去の想いや行いに対し、後悔や罪悪感を生み出しておる。
その後悔や罪悪感が嫌な出来事を招いているのです。
ということは、嫌な出来事も、考え方を変えれば長くは続かないんだね。
はい。神の心が生み出した結果(悪い出来事)が、必要以上にあなたを苦しめるはずもありません
辛い出来事や嫌な出来事は禊
今起こっている嫌な出来事は、過去の禊と思うがよい。
禊をして生まれ変わり、晴れて幸福を受け取りましょう。
唱える効果「人間万事塞翁が馬」
不幸が襲ってきたら、恐れずうろたえず、不幸と向き合うことが大切ですよ。
やだなぁ。
でも受け入れなければ、苦しいだけで、停滞したままですよ。
嫌な感情に捉われたなら、「人間万事塞翁が馬」と唱えて、ほっぽりだしましょう。
子供だましのおまじないのように思われるかもしれませんが、言葉には魂が宿るもの。
言葉もエネルギー(気)ですからね。
「人間万事塞翁が馬」
唱えながら、この嫌な出来事は、良いこ事が起こる前触れであると信じてみてください。
その時点から、不思議と自分を取り巻く気の状態が変わりはじめ、状況も変わってきますから。
悪い出来事は、良いことが起こる前兆なんだと信じて、淡々と毎日を過ごしましょう。
もんもんと鬱々とした時を過ごすのは、もう充分だよ。
起こった出来事、心を波立たせている原因をしっかりと見据え、反省したら、いつまでも後悔や恐怖や不安を抱き続けることはやめるのじゃ。
せっかく嫌な思いをして、或いは何かを失ってまで引き寄せた幸運を、手に入れずに逃してしまっては、もったいないですからね。
悪い出来事は悪い事とは限らない。
幸福の前兆。
好転させるのは、他でもない自分自身ということだね。